「知のバザール」研究ベーシックインカムの可能性

「大学の自治」は単に与えられるものでなく、主体側の責任が大きい。大学がそれを享受し発展的に活用できればよかったが、単なる牙城と化し一部の集団が横暴を極める口実を与えた歴史は清算すべきだ。国民の人権「学問の自由」と「大学の自治」の切り離しは「学問の近代化」にとって重要だと思える。

「選択と集中」路線には反対だが、国際卓越大学構想における「大学ファンド」「稼げる大学」の考えは前進と評価する。個人的には、「直接研究者に届く、研究業績指標考慮したベーシックインカム」と政府指導でなく市場原理に任せフラットな「研究ファンド」組み合わせが最終的には良いと考える。「大学の自治」の濫用があるならば実態にテコ入れや風通しも必要だろう。

仮に、「直接研究者に届くベーシックインカム+研究ファンド」が運用されれば、究極的に「大学」はより「交流の場=フォーラム」となっていく。プラトンが作ったアカデメイア、中世ボローニャ大学やパリ大学、ひいては日本の松下村塾など、自然発生的に集い学び考える本来の機能に復帰できるかも知れない。今後、積極的に知の連携を求めるべき大学は、真の「知の源泉」たる研究者を閉じ込め管理統括し疲弊させる「伽藍」であってはならないだろう。その意味で、私の考える進化した大学の機能の例えとしては、オープンソース・イノベーションを支える考えである「伽藍とバザール」の「バザール」の方が、より適切かも知れない。

大学は「知のバザール」となるべきだろう。

「伽藍とバザール」自体は、エリック・レイモンドによって書かれたオープンソースソフトウェア(OSS)のソフトウェア開発方式に関する書で比喩として用いられた有名な言葉。「閉じた伽藍から開かれたバザールに移行せよ」という方向性への示唆である。